さて、今日も読書感想文です。流石にサッカー本を連続して読んでいると疲れてきます。そして、妙なことに気が付きました。サッカー本を読む目的です。サッカー本を読む目的は色々あると思います。例えば、単純に読み物として面白い。Number文学はそうですね。あとは、暴露本と書くと怒られそうですが通訳日記みたいな。ああ、こんなことが起こっていたのか!みたいなことを知ることができるのも楽しいですよね。
サッカーのお勉強、という観点から考えると、新しい知識を与えてくれる、もしくは今ある知識を繋げてくれることで新しい景色を見せてくれる、またまた、新しい角度からの視点を提供してくれる本が最強だと思います。
で、モダンサッカーの教科書Ⅱです。モダンサッカーの教科書Ⅰは超評判が良かったです。指導者で持っていない人はもぐり認定!みたいな勢いでした。でも、モダンサッカーの教科書Ⅱはそういう評判が聞こえてこないんですよね。さらに、Amazonを覗いてみてもレビューがないんですよ。ちなみに、モダンサッカーの教科書Ⅰはめっちゃレビューあります。
昨日にポジショナル賢者の本の感想文を書いたんですが、ここでひらいめたわけですよ。だから、リバプールなのかって。ポジショナルプレーⅡでは、新しいことを提供することは難しいですもん。ポジショナルプレーがアップデートされたとしても、提供できる新鮮なものの量はどうしたって減ります。策士め。
モダンサッカーの教科書Ⅱの質は、モダンサッカーの教科書Ⅰとほとんど変わりません。ただ、みんなに与えてくれる知識、視点はⅠを経由しているだけ量が少ないんですよね。もうちょっとスペースをあけてもいいような気がします。Ⅲも出るよ!ってなっているけど、本人も言っている通り、パラダイム・シフトはそんなに起きませんからね、という枕でした。長い。
マンチェスター・シティとリヴァプールについて
「さて、孔子とプラトンの真似をしていきたい。」
「では、率直に本の内容について触れていこうではないか」
「序盤には欧州サッカーで起きていることが書かれている。」
「なるほど。」
「レナート・バルディの分析の方法は実は吾輩のやり方に似ている気がする。」
「どんなところが似ていると思うんだ?」
「ピッチの現象から考えていることだな」
「答えはピッチに落ちている、というやつやな」
「それな」
「なので、分析が腑に落ちることだらけなわけか。前にも言っていたけれど、欧州の人の分析と日本に住んでいる人の分析の共通項を見つける遊びは楽しい」
「育ってきた環境が違うのに、同じ試合をみて同じような結論になるって浪漫以外の何物でもない」
「で、欧州サッカーの最先端の後には、マンチェスター・シティとリバプールの分析が載っている」
「その2チームの分析はどうなんだ?」
「非常にわかりやすい。難しい言葉もあまり使っていない。実際に起きた現象をデータで補完しながら分析は進んでいく。で、最大の良いところは断定しない。現場で起きている本当の意図はわからないから、という姿勢が好きだ。ピッチで起きていることはこうだけどね、という指摘も良い」
「マンチェスター・シティについてやたら書かれているな」
「グアルディオラおたくらしいから仕方ない」
「でも、リバプールの少なさはリバポサポの反感を買いそうだけど、これはこれでコンパクトに纏まっているな。」
「マンチェスター・シティやリバプールについてのプロの分析を見たい人は是非やな」
戦ピリ実践編
「で、次がボローニャでの実際の体験が載っている。理論だけで終わらないところがすごい。」
「山口くんは架空のゲームモデルを提示したのに対して、レナートは普通にボローニャのゲームモデルについて喋っているけど大丈夫なのだろうか」
「さわりしか話していないから大丈夫なのだろう」
「それにしてもゲームモデルが実際にどのように運用されているのか、とか、戦ピリを実際にどのように使っているかとか、他のチームはどうなんだ?とか赤裸々にかかれているな」
「この段落は指導者向けだと思うな。」
「特にメンタル的にダメージをくらっているチームを途中就任でどのように立て直したか?という話は面白かったな」
「ただ、昨日も書いたけど、データはすごいな」
「様々なデータがどのように使われているか?はすごいんだけど、アマチュアのチームはそれを見せられてもぐぬぬだからな。どうやってデータを集めんねん、みたいな。このあたりはスプライザに期待か。」
「というわけで、指導者は必見。そして解任ブーストでない論理的なブーストってなんやねん、みたいな人も必見」
森保代表の分析
「最後に日本代表の分析だな」
「ロシア・ワールドカップの試合と森保監督になってからの試合を分析している」
「これは日本でも見ている人が多い試合なので、イタリアのプロが日本の試合をどのように見たか?を知りたい人にはうってつけだな」
「なお、イタリアのプロが日本代表の試合を分析する名著が昔にあったんだけどな」
「懐かしい話だな」
「あのころと比べると、日本代表もボロクソには叩かれていないな」
「ま、そういう本でないしな」
「で、肝心の分析を見ていると、今日の試合にも照らし合わせることができて流石やな、としか言いようがない。」
「褒めてばかりやな」
「というか、現時点で日本語で気軽に読めるサッカー記事でレナートの記事は最高峰だ」
「だから、褒めてばかりになるのもしょうがないというわけか」
「この項目にはロシア・ワールドカップについても書かれているんだけど。その中で非常にレナートらしいところがある。それはトランジションの時代なのか?みたいなことを言われてからのレナートの発言なんだけれど。」
「どんな発言だ」
「そのまま書くと怒られそうなので、適当に書くぞ。ポゼッションスタイルの時代は終わり、これからはトランジションスタイル!なんてことは別にない。スタイルに優劣の問題はない。確かにポゼッションスタイルのチームはワールドカップでいい結果を残せなかった。それはそのスタイルが悪いのでなくて、そのスタイルをちゃんと機能させられなかったことが悪いと」
「なるほど。ポゼッションが悪いのでなくて、それをちゃんとできないのが悪いと。」
「そうだ、つまり、強さは自由ってことだな。強ければ、色々なことができる。強くないから悪い」
「このようなレナートの姿勢は好感が持てる。ただ、グアルディオラまにあなので、多少はボール保持スタイルを愛している部分はあるけどな」
「そこもお前に似ているのかもしれないな」
「まとめると、日本代表の試合についてイタリアで活躍している指導者がちゃんと分析している。西野→森保路線を振り返る意味でも非常に読み応えのある内容になっている。さらに、ロシアワールドカップの総括も載っていると。なので、興味のある人は是非」
ひとりごと
もう知らない人もいるかもしれませんが、自分はスポナビ+という場所でブログを延々とはじめました。多くの人がコメント欄に現れ、それなりにアクセス数も増えていく中で、最も嬉しかったことが海外の人の分析とかぶってきたときでした。南アフリカワールドカップくらいから海外のブロガー、指導者の人のマッチレポが流れてくるようになったのですが、あれ、自分の見方とそんなに変わらないじゃねえか、というのは素直に自信になりました。
それよりも大きかったことは、同じ試合を見ていて感じることは世界のどこにいても同じなんだなという事実でした。ああ、パソコンやテレビの前で試合を見ていて、それは世界と繋がっているんだなみたいな感覚です。この感覚は代えがたいものでした。今でも嬉しいものです。育ってきた環境が違えど、同じ試合を見て同じように感じるんだな、みたいな。
これは指導者目線でも同じで、指導者は孤独!とよく言われるのですが、モウリーニョがスパーズでハーフタイムに強い気持ちを連呼しているのを見て、俺らと変わらないじゃん!ってなるのも同じです。ああ、レベルは違えど、繋がっているのね、同じ世界なのね、みたいな。それがボローニャの体験談で色々と感じさせられます。
この本はそんな感覚を味あわせてくれます。イタリアのプロの指導者とある意味でガチンコの殴り合いです。マンチェスター・シティの分析を見て、俺の目線と対してかわらないじゃん!となるのも良し、プロはすげえとなるも良し。目指すべき質を知ることも大事だと思います。プロの基準というか。
ブログを延々と書くことも孤独な作業で、ときに何をしているんだ?となりそうですが、知らぬ間に力がついているものです。それをプロと比較できるなんて楽しいし、彼らの視点に一瞬でも追いつく瞬間があれば、それは代えがたい経験なんじゃないでしょうか。というわけで、幅広い人にオススメします。
最後に片野さん、さすがっす。サード・インパクトを狙うことなく、淡々とシリーズ化してもらえると嬉しいです。このシリーズはサッカー本で最高峰の質だと心の底から思っていますので。
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