Jリーグ歴代ベスト11を考えよう!!

独り言

こんにちは。

最近のマイブームは、岡田メソッドと戦ピリにおけるゲームモデルとエコノメソッドの差異について、思いを巡らせることです。

さて、コロナの時期はサッカーのない生活!になるわけですが、サッカーダイジェストさんは考えた。今だからこそできる企画は何かと。そして出てきた企画が、Jリーグ歴代ベストイレブンの発表でした。色々な選手のベストイレブンを見ることができて、とても楽しかったです。

なので、自分もうんうん言いながら考えてみました。お前の考えるベストイレブンなんて興味ねーよって?!

知ってる!!でも、楽しいからやるの。ベストイレブンというと最強メンバーみたいになり、誰が選んでも同じようになる可能性があります。

左サイドバックにレオナルドで、右サイドバックにジョルジーニョで、ボランチにドゥンガで、前線にベベト!とか言われると、94年に見たことあるチームじゃないか!となってしまうわけで。いや、他にもサンパイオとかエジムンドとかフッキとか、ってセレソンの選手が地味に多いですねと。

なので、選出基準はJリーグで長くプレーした選手としました。長くの定義は特に考えていません。例えば、中田英寿や香川真司はベストイレブンに値する選手だと思いますが、Jでの試合数が少ないよ!というわけで、外します。ま、短くてもマジでエグかった選手は選ぶかもしれませんんけどね!

曽ヶ端準

黄金世代のラスボス!!ゴールキーパーは曽ヶ端準。鹿島アントラーズのレジェンドなので迷わずに選出。最近はとうとう試合出場機会が減ってきましたが、Jリーグを象徴するキーパーだと思います。え?川口や楢崎はどうしたって?いや、曽ヶ端はタイトルを獲得した回数が異常。さらに、黄金世代ゆえか、快挙を成し遂げたワールドユース、シドニーオリンピック、2002年のワールドカップと地味に参加しています。いわゆる歴史の生き証人。いつまでも頑張って79年世代のラスボスになって欲しいです。

内田篤人

0から1を作り出す現代的なサイドバック。おい、在籍年数が少ないじゃないか!と言われそうですが、鹿島アントラーズの3連覇を支えたという意味で、ベストイレブンに選んでもおかしくはないかと。さらに言えば、高卒で即スタメン。そして翌年から三連覇を支える。こんな快挙を成し遂げそうな選手はこれからも出てくるだろうか。いや、出てくるわけはない、という反語。そんな偉業を達成したので選出いたしました。

ギド・ブッフバルト

一人の闘将が死に体だったチームを生まれ変わらせた御伽噺。センターバックはブッフバルト。今季のJリーグは降格制度がありません。今は昔、実は初期のJリーグにも降格制度はありませんでした。そんな初期のころに最下位を独走していたのが浦和レッズです。そして、そんな浦和レッズを劇的に変貌させた理由のひとつがギド・ブッフバルトです。94年のアメリカワールドカップ後に浦和レッズに合流し、鬼神の如きパフォーマンスでチームを牽引。ときには攻撃参加する元祖田中マルクス闘莉王として浦和レッズを進化させてきましたとさ。さらに言えば、その後に監督になり、浦和レッズに根性というゲームモデルを植え付け、優勝に導くのだからもう言うことはありませぬ。

中澤佑二

ボンバーヘッド、世にはばかる。センターバックは中澤佑二。プロになる道のりも絵になるし、マリノスに移籍してからの活躍はエグいし、さらに言えば、マリノスに骨を埋めて今はどこで何をしているやら。個人的にはモンバエルツ以降もマリノスに残ってチャレンジをしている姿が、中澤佑二という選手を最も表しているんじゃないかなと勝手に思っています。プロになってからも選手は成長する!ことを証明したことも、多くの選手にとってお手本になるのではないでしょうか。

アントニオ・モンテイロ・ドゥトラ

ドゥトラは滅びぬ、何度もでも蘇るさ。左サイドバックはドゥトラ。虎です。記憶が誤っていたら申し訳ないのですが、浦和レッズとのチャンピオンシップでPKを超冷静に決めたのを見て、すげえええええええとなったことを覚えています。マリノスで不動の左サイドバックとして、最強マリノスを支え、38歳になったらまた戻ってきてスタメンになりタイトル獲得に貢献する、という荒業をできる外国人選手もそういないのではないかと。契約更新しないよ!からの6年後に帰ってくる!!って意味わからなくないですか?

遠藤保仁

和式が生んだ最強のゲームメイカー。最強ガンバから誰かを選ぶとすれば、やはり遠藤保仁になります。2005年と2014年の優勝を経験しているのがずるい。大抵の選手はそのチームの最強時代を一回経験しているのが普通なのだけど、、遠藤保仁は何度も経験しています。2005年から2008年までの栄光と2014年から2015年の栄光に貢献しているのだから、えぐい。段々とポジションが前になっているのも面白いです。普通は後ろになっていくのだけど、これもサッカーの変化を表すことの一部なのかもしれません。

森崎和幸

世界屈指の最初の一歩。森崎和幸は外せません。サンフレッチェ広島の黄金時代を支えたこともあって迷わずに選出。試合が膠着状態のときに、チームに解決策を提示できる選手だったことが凄い。現代のサッカーはセンターバックが時間とスペースをどのように前列の選手に紡いでいけるか、つまり、最初の一歩が超大事なんですが、最初の一歩選手権があれば、森崎和幸の多彩な引き出しの前に世界が沈黙するに違いありません。

藤田俊哉

再現できそうで再現できない、届きそうで届かない唯一無二の選手。ジュビロ磐田の黄金時代を支えたこともあって迷わずに選出。さて、藤田俊哉。藤田俊哉のプレースタイルは?と言われると、なかなか答えるのが難しいのではないだろうか。いわゆる持って生まれたもので勝負していたタイプには思えない。しかし、藤田俊哉以降に藤田俊哉のような選手は生まれてきていない。つまり、彼のようなプレースタイルでさえ、後天的に身に着けた能力で勝負していたわけではないのであった。というわけで、みんな自分を磨きましょう。なお、超感覚派の選手だったと近しい人に聞いたことがありまする。

ビスマルク・バレット・ファリア

祈りを捧げ、ブラジルの奥深さを日本に伝える。東京ヴェルディの黄金期と鹿島アントラーズでもがっつり結果を残したので迷わずに選出。泣く子も黙るビスマルクだ。ブラジル代表を作ろうぜ!となると、Cチームでもエグいメンバーが揃うと話題になるが、ビスマルクは何チームに入れるのだろうか。いや、アンダーの代表には呼ばれていた!とは聞いたことあるけど。そんなビスマルクのプレーはセレソンに値するくらいのものであった。こんな選手でも代表に入れないって世界は何やねん。のちにエメルソンの衝撃などなど、ブラジルの層の厚さを最初に知らしめてくれたのがビスマルクでした。

中村憲剛

川崎フロンターレのオリジナルモデル。たぶん、そのうちに川崎フロンターレのとある選手が「私がたぶん3人目だと思うから」と言い出すに違いありません。プロになれた理由からここまでのレジェンドに到達したストーリーも秀逸ですし、川崎フロンターレの成長は中村憲剛の歴史であると言っても過言ではない、ような気がします。

で、ヤッヒー以降は中村憲剛みたいな選手が増えてませんか?いわゆるボールプレーヤー。ボールを持ったときに何をしてくれるかわくわくするような選手が。また、ボールを持ったときに絶妙なポジショニングや動き出しでスタジアムを盛り上げる選手が。全ての元ネタは中村憲剛なんじゃないかな?と思うわけです。なので、中村憲剛以降の川崎フロンターレはとても興味深いし、誰が二人目になるかも楽しみだし、監督としても恐ろしい人材になりそうで怖い。

ドラガン・ストイコビッチ

優雅さだけでなく、優勝という結果をチームにもたらした。というわけで、選手としても監督としても強さを見せつけたストイコビッチを選出。まー、やばい。たぶん、30代のサポは全員ストイコビッチにやられている。初期のレッドカード連発のころから、ベンゲルのかごをうけ、その後のファンタジスタなプレーは説明するまでもなく。自分の中で、Jリーグに在籍した歴代最強の選手だとまじで思っている。もしも、アーセナルにベンゲルと帰っていたら、それはそれで欧州を賑わせていたに違いない。

ひとりごと

たまにはこういうのも楽しいですねと。ではまた!

コメント

  1. 鹿 より:

    小笠原満男は入らないか・・・。

  2. しんむー より:

    僕の記憶が正しければ、藤田俊哉選手は一流選手が2つパスコースを持っていたら、藤田俊哉選手は4つパスコースを持っていたらしい。最近、ストイコビッチ選手がユーゴ代表だった時の監督、イビチャオシム氏って1982ワールドカップサッカー西ドイツ対フランスの試合観戦したのかな?などと思うことありです。内田選手も最近引退して、選手として懐かしい選手の側になってしまっているかも。

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