パリ・サンジェルマン U-12コーチからの手紙 第3回「La conservation du ballon(ラ コンセルバシオン デュ バロン)」

■言葉の背景

前置きを少し。言葉は動作を行うベースである。例えば、キックをしましょうと脳から命令されて、手でボールを投げる選手はいるまい。もちろん、試合中にはほとんど考える暇もない場合が多く、「よし、二アポストへ、スライディングヘッドだ」という思考と同時かそれ以前に体が動いている。私がここで行いたい作業は、動作を支配する言葉の意味を探ること。しかも、フランス語文化からのアプローチである。将来的には各文化圏から言葉を集め、日本サッカーにおける動作にバリエーションを増やしてみたい。言葉は歴史と文化によって醸成されていくものである。その道の学者でも教授でも専門家でもない、一介のコーチが現場を通してどこまで深く洞察できるか挑戦してみたい。

「conservation(コンセルバシオン)」という言葉がある。日本語では「保存」と訳される。この言葉に触れる前に少し過去に目を向けてみよう。近代主義のスタートラインを引いたフランス大革命で「自由・平等・博愛」という価値が打ち出された。しかしこの革命の理想はすぐさま醜い現実に転落する。ジロンド党とジャコバン党の確執そしてジャコバン党内部での抗争といった経緯のなかで、裏切り、陰謀そして殺りくが渦巻いた。自由は放らつに堕ち、放らつは抑圧に転回した。平等は悪平等に変わり、悪平等は差別に逆転した。博愛は偽善に堕ち、偽善は酷薄に反転した。

フランスは「革命はその子らを食む」というリアリティを目の当たりにしたのである。現実とのバランスなしには理想は語れない。自由と規制のバランス、平等と格差のバランス、博愛と競合のバランスを保つことが人間の価値である。この平衡状態を保つ基準は歴史・慣習・伝統にあり、そこへ敬意をよせるのが保守である。政治の次元で保守といえば、古い制度に含まれる英知が、新しい事物のうちでどれを採ってどれを捨てるべきかを示唆してくれると考えることである。

サッカーではこの言葉が「ボールを保持する」の意味で使われる。つまり、人間の社会、人生と同じで危機に対しては精神の平衡状態を保とうとするように、ボールを失っている状態を危機と捉え、組織でボールを相手に奪われることなく保持することを指す。

■3つの要素

「conservation du ballon」は第1にパス回し、第2にスペースの有効活用、第3に対人プレー(主に1対1)を基礎として成り立つ。またそれは、技術・戦術・精神面を表す戦略の一要素である。

1番目のパスについて見ていこう。パスはそのチームの戦術によるが、チームが協力して試合を展開するための重要な要素である。パスはただ単に出し手と受け手との2人の関係を必要とするだけではなく、11人全員の参加が不可欠で、試合の展開を読んだ上でのコンビネーションプレーであったり、できるだけ多くの人数をかけたコラボレーションプレー、ボールがないところでのマークをはずす動きが要求されるのである。パスをすることはひとつの技術的な動作ではあるが、またそれは同時に、思考し、期待し、実行し、そのパスの結果を分析する作業でもあるのだ。良いパスを出すということは、良い選手に良いタイミングで良いボールを送ることであり、それは日ごろのトレーニングの中で、パスコースを先読みするために、選手同士が頭の中で確認し合い、暗黙の了解にしておくことが必要であるということなのだ。パスは送る場所によって種類が分けられる。ロングパス(ここでは20メートルを超えるパスをロングパスとする)かショートパスか前か後ろか右か左か。さらにパスには受け手へのメッセージが込められるべきであり、ワンタッチコントロールかツータッチコントロールかはパスの早さなどで伝えることができる。

次に2つ目の要素スペースについて。
グランドにおけるスペースは、各プレーヤーが関与する「プレースペース」と、各プレーヤーとの間にできる「フリースペース」とで成り立つ。原則としては、敵のポジションチェンジや敵に占められているスペースを無力化するために、フリースペースでボールを扱わなければならない。攻撃面にせよ、守備面にせよ、両チームともがスペースを使ったり、無力化したりしていくのである。こうして攻撃と守備が交互にあらわれるのだが、これは個人と集団戦術のベースのひとつである。攻撃面ではパスでボールを支配し、サポートの動きでスペースを有効活用する。守備面では敵によって占められたスペースを無力化したり、ポジショニングの悪い味方によってできたフリースペースをカバーする動きが必要になる。

3番目の対人プレー(主に1対1)について。
ボールを持った選手がすばやくパスできなかった時や、ボールを受ける瞬間にフリースペースでボールを受けようとしたがそのポジションを素早く確保できなかった場合に、対人プレーは起こる。これについてはまた改めて筆を取るが、フランス語では対人プレー(主に1対1)のことをduel(デュエル)といい、「決闘」を意味する。例えば、2人の敵同士がいるプレースペースへボールがある場合、そこにデュエルがある。デュエルではドリブルによるボールキープかそのボールを奪い返す作業が行われる。ドリブルの究極の目的は、日本での感覚と開きがあるので注意されたいが、パス・センタリング・シュートの準備をするためにフリースペースを創ることである。

以上、今回は「conservation」という用語について見ていった。日本ではおそらく英語でボールポゼッションとかボールキープというプレーに当たるかもしれない。しかし、ここで私が挑戦したあるひとつの言葉を掘り下げただけでも、「なぜ欧州フットボールがスピーディーに展開されるようになったのか」ヒントが見えたのではあるまいか。単なるパス回し、単なるドリブルだが、彼らの意識層にせよ無意識層にせよ上述した要素がプレーとして自然に出ているのだ。それは歴史・習慣・伝統が育む言葉のイメージの違いである。サッカーは言葉をベースにしたイメージの集合体である。日本サッカーは確かに向上している。しかしそれは外見の実践によってなされたものがほとんどである。日本人はこの作業が得意である。見よう見まねで似たようなものを作ってしまう。それはそれで素晴らしい能力である。ただ、サッカーはモノではない。不確定な要素(危機と置き換えてもよい)に組織力で立ち向かうゲームである。組織は人で成り立ち、人の動きは思考が作用する。その思考のベースである“言葉”を詳(つまび)らかにすることで、組織力が高まることを期待する。

<了>

■樋渡群/Gun HIWATASHI
1978年6月9日生まれ。広島県広島市中区千田町出身。フランス・パリ在住、フランスサッカー協会コーチライセンスU-12、U-18、シニア部門の3つを取得。現在は、パリ・サンジェルマンのU-12コーチとして活動するかたわら、コーチ国家試験に挑戦中

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